弥生時代からすでに、、 | |
えだまめ(大豆)の起源地について育種学では、昔は満州、シベリア説が有力でしたが、
次第に中国華南説も多く出てきて、特定はされていないと言います。
史実による記録では、中国で紀元前400から200年前に北方から大豆 が入ってきて、異国から入ってきたマメということで「えびすまめ」といわれ、 五穀に数えられてきました。 日本の食文化史の一説によれば、大豆は弥生時代に水稲とともに、あるいは少
し遅れて日本に入ったらしく、縄文遺跡では、ツルマメ、リョクトウなどの小さ
なマメは出土しているようです。 日本で大豆をえだまめとして食するようになったのはいつころなのか....。 日本の大豆の利用は唐の時代(630から894年)、遣唐使が中国の ”醤”(ひしお:しょうゆのルーツ)や、”し”(くき:納豆のルーツ) を日本に伝えたといいます。 |
日本では平安時代はもう、、、 |
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平安時代になると醤の製造技術も進み、それまで固形に近い物から、
どろどろの液状になってきたといいます。
平安から鎌倉時代には溜(たまり)が現れてきます。炒り大豆、大麦、
麹に塩を混ぜ、これに重石を乗せて発酵されたものです。 そして室町室町の時代にはいると醤油の文字が「易林本節用集」に 記載されています。油は上に浮かぶ物なので醤のうわずみという意味 で醤油と言ったらしいのです。 さらに江戸時代に進むと醤から溜醤油へと日本独特の製法が確立さ れました。 納豆も日本独特の発酵食品ですが、いわゆる糸引き納豆は詳細不明
にしても、弥生時代稲作と大豆が渡来し、住居の床には藁が敷き詰め
られていたことを考えると当時、納豆の出来る環境は整っていたと考
えられます。 豆腐の発明も早く、漢の時代(紀元前198から122年)からと
いいます。
さらに明治時代には丸大豆が工業的に圧搾による搾油が始まりました。
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