前回の続きで、昭和49年春期の最終第7戦です。 私にとっては、「全勝」のかかった一戦です。 対戦相手は、春にも対局している学習院大学でした。 その上、春の対戦では同じ相手に大差(?)で勝っています。 5月の3・5・6日と6局打って、この対戦は1週間後の5月12日でした。 囲碁部と言っても、大学に行って碁だけ打っている訳ではありません。 私は建築学科で、一応(?)「建築」の勉強をしていました。 建築科では、メインの講座は「設計演習」でして、 週末が、課題の設計図の提出日でした。 碁も大事ですが、建築の設計には 命を賭けていました。(オーバーですね。) 課題は、提出日ギリギリまで仕上がりませんから、 (本当は締切にならないと始めないだけなんですが・・・) 大抵、最後の1日は「徹夜」なんてことになっていた訳です。 また、課題が終わった解放感で、徹夜明けにも関わらず、 4人集まると、相も変わらず例のパイをジャラジャラやり始めまして、 「明日大事な碁を打つんだよ」なんて言っても、結局最後は徹マンです。 朝になって、徹マンの友人宅から対局会場にヨタヨタ駆けつけました。 その日は、最終戦で午前の1局だけ打てばいい訳です。 でも、頭はクラクラして、眼は半分寝ています。 いくら相手が弱い(失礼!)とはいえ、 2晩徹夜では、なんぼなんでも勝てないでしょう。 しかし「2子置かせても勝てる」なんて思っている訳です。 この時の体調では、2子置いても負けていますよネ。 まあ、これは全て弱い私の「言い訳」です。「負惜み」の話です。 結果は案の定、ボロボロでしたネ。「全勝」も夢と消えてしまいました。 |