昭和49年の春です。私は4年生で、一応「最後の年」です。 いつからかはハッキリしませんが、 「8シーズン制」という規定がありました。 年齢は関係ないのですが、8シ−ズン(4年間)出場したら、 あとは、それ以上出場できないと言う規定です。 大学は4年ですから、当たり前と言えば当たり前なんですが、 「1部」とかですと、碁の為に留年してまで出場していた 強手(つわもの)が、結構いたんです。 法政の中園清三さんや、中央の今村文明さん、慶応の小森さんなんかも、 「つわもの」だったでしょうか? 個人名を挙げるとマズイですかネ。 間違っていましたら、メール下さい。訂正させて頂きます。 話変わって、「昭和48年秋期」の第10局は、長々と駄文を書きまして、 肝腎の事を書き漏らしましたが、電大は、な・なんと「優勝」でした。 今まで残留はあったものの、坂道を転がる如く「2部」から「6部」まで 降格続きでしたが、私の入部以来、初の「優勝・昇部」でした。 で・・・、昭和49年の春期は「5部」での対戦です。 この学芸大との1戦は、開幕戦だったのですが、 この1戦に勝って、私は調子付いたのか、 その後、勝ち続けて、6連勝でした。 個人的にもソコソコの成績でしたが、電大も上昇気運でした。 |