直線上に配置

血涙囲碁15番勝負

第10局


昭和48年の秋です。電大は、春は6部で3位に終わり、
惜しくも昇級出来ませんで、秋期も「6部」でした。

「関東リーグ戦」は団体戦で、自校の優勝や昇級を目指していますが、
個人的にも、その人・その人で目標はあったと思います。

私で言えば、「高校選手権」で一緒に出場した森氏や金井君と、
「関東リーグ」で打ちたいというのが1つの目標でした。

対局するにはまず、お互いの大学が同じ部でなくてはダメです。
師匠・森氏は、前にも書きましたが、慶応大学でして、
慶応は「1部」ですので、全然無理なんですが、
金井君は群馬大学で可能性がありました。

群馬大は電機大と似たようなランクでしたが、なかなか同じ部にはなりません。
1度同じ部だったのですが、3将と4将で、対戦できない事がありました。
当然ですが、同じ部で同じ将にならないと対戦は出来ない訳です。

その上、金井君は現役、私は2浪でしたので、チャンスは2年しかありません。
ただ、幸いな事に(?)勉強好きの金井君は、1年「留年」になりまして、
最後のチャンスが、昭和48年の秋期にドンピシャ巡って来ました。
 
今期は同じ6部(!)で、同じ3将です。時は昭和48年11月23日、場所が、
これまた思い出深い「高校選手権」と同じ会場の昭和薬科大学でした。

午前の対局で、確か対局は10時からだったと思います。
師匠・森山氏も二人の対局を知っていて、駆けつけてくれました。
その上「懸賞金」まで出してくれました。大枚2千円です。舞台は揃いました。

しかし、金井君は開始時間の10時になっても現れません。
他の人達は来ていて、3人以上いれば成立しますので、対局は開始です。

金井君は、10分経っても、15分経っても現れません。
私は、「武蔵」を待つ「佐々木小次郎」の心境です。
「遅かりし武蔵」と思って、イライラしていました。

細かくは憶えていませんが、20分か30分か遅刻すると負けという規定でした。
群馬大は関東でも一番遠い学校ですから、遅刻は結構ありました。
それでも、遅れながらも、対局はしていたと思います。

私も、よもやこの「大一番」に金井君が遅刻するとは思いませんでしたネ。
武蔵の作戦かなと思いました。フツーはイライラした小次郎が負けます。
しかし結局、武蔵は時間に現れず、「遅刻負け」となりました。
その5分後くらいに、武蔵はアタフタ駆けつけました。

「懸賞金」は当然、私が貰えるものだと思ったら、
「不戦勝じゃあダメですよ」ということで、森氏が持って帰りました。

で・・・、棋譜をクリックしても真っ白で、「幻の棋譜」という訳です。
ズルズル長い文で、最後まで読んで戴いた方には、お礼申し上げます。


 棋譜へ
戻る           次へ


                   
トップ アイコントップページへもどる
直線上に配置