1年間、碁を習って、高校2年生の時に「高校選手権」に出場しましたが、 高校3年から浪人時代の計3年間は、受験と言う事でブランクでした。 苦節2年の浪人の後、大学に入学してまず入ったのが囲碁部でした。 高校生の時は5級くらいだったのですが、浪人時代の2年間も、 雑誌やテレビのNHK杯を見たり、チョットは打ったりで、 大学に入った4月の頃は2〜3級くらいでした。 ただ、大学の囲碁部は、どの大学もそうでしょうが、 段位は一般より辛くて、入部した時は、確か6級だったと思います。 東京電機大(略称電大)の囲碁部は、強い先輩がゴッソリ抜けた直後で、 一番強い人が1級で、段の人はいなかった時でした。 まあ、全て30年以上前の記憶なんで、正確ではありませんが、 1級が1人で、2級から5級までで10人くらいだったでしょうか。 いわゆる大学の囲碁部では、全日本の学生団体戦や、 勿論、個人戦であれば学生本因坊戦等もありますが、 「関東リーグ戦」というのが、一番の大舞台でした。 1チーム5人の団体戦で、当時は1部〜7部くらいまでありました。 各部8チームで上位と下位の2チームが入れ替えです。 電大は前期の2部からの降級で、S46年の春期は3部でした。 それぞれの大学のBEST5人が正選手で、 私は1年の春で入ったばかりでしたが、 一応、「補欠」という役でした。 で・・・、15番勝負の第3局は、その「昭和46年春期関東リーグ戦」から、 私のデビュー戦の碁を取り上げます。突然の出番で、散々の碁です。 相手の横浜市大もピンチヒッターだったようで、碁の内容は、 メチャメチャひどいです。どちらがヘボかの戦いですが、 ヘボは、私の方が2〜3歩優って、大敗を喫しました。 |