新潟県理化学協会研究部物理グループ

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新潟県理化学協会 〜新潟県理化学協会20周年記念誌より〜

 本協会の前身は、戦後の学制改革とともに、新潟県高等学校教育研究会(高教研)の理科部会事務局に日本理化学協会新潟県支部として誕生した。
当時は、高教研理科部の研究会の際に全国や北信越地区の情勢報告や、連絡が主であり、活動費にしても、研究会の場を借りて、物理・化学系の有志の方々から頂戴していた状況であった。そうした中にあっても日本理化学協会の全国大会にも参加したりしていた。
 しかし県支部が存在すれど会員数不明、経費もない状態で機能麻痺寸前の状態を打破すべく、新潟県高等学校教育研究会(高教研)の理科部会事務局からの分離独立が、昭和49年度末の新潟県高等学校教育研究会(高教研)の理科部代議員会で承認され、当時の霍間新一直江津高校長を初代会長として、昭和50年6月に「新潟県理化学協会」が発足し、同年10月に第1回新潟県理化学協会の総会が新潟高校音楽室を会場に開催された。昭和54年3月に新潟県理化学協会の会報第1号を発行した。


資料1−新潟県理化学協会会則(抜粋)  
 第2章 目的および事業
 第3条 本会は新潟県の物理および化学系理化教育(以下理化教育と称する)の振興をはかり、あわせて会員の親睦を厚くし、小・中・高・大学の理科教育の連携を密にすることをもって目的とする。
 第4条 本会の目的を達成するために次の事業を行う。
  (1) 理化教育に関する調査研究
  (2) 研究協議会、講習会等の開催
  (3) 会報、紀要等の発行
  (4) 関係教育機関、研修団体との連絡、協力
  (5)日本理化学協会の新潟県に係る会務
  (6) 総会の開催    毎年1回総会を開く。ただし、会長が必要と認めるときは、臨時総会を開くことができる。

資料2−日本理化学協会
 日本理化学協会は、大正12年に関東大震災があり、東京高等師範学校創設者狩野治五郎(近代柔道の創始者)が日本の将来を憂えて大正15年(1926)に創立した。狩野治五郎は初代会長に収まった。この年、第1回設立総会並びに全国的な理化教員の研究大会が、大阪府立清水谷高等女学校で開催された。
 当初は旧制度の中等学校並びに師範学校等の物理・化学の教員が中心に研究活動を進めていたが、戦後の学制改革により、6、3、3制が施行され、教員免許制度も、物理・化学・生物・地学を含めて「理科の免許」となり、教育課程の改定も幾度かあり、日本理化学協会の研究活動も物理・化学だけでなく理科の他の科目も含めて、「全国理科教育大会」と「日本理化学協会総会」を毎年開催することになった。
「全国理科教育大会」では、各都道府県の理科の先生方の研究成果の発表・研究協議・特別講演・理科機器の展示等を実施している。
 日本理化学協会は、全国の理科教育に携わる先生方の研究活動の活発化・科学技術の進展に関する情報収集や情報交換の効率化・理科教育に関わる意見の集約などを図るために、各都道府県を単位に支部、またその支部を9ブロック(北海道、東北、関東、東京、北信越、東海、近畿、中・四国、九州)に分け、日本理化学協会の組織としている。


新潟県理化学協会物理研究グループ

 <平成11年より、体制が変わりましたので、現在更新中です>


坂井 章(新潟高校通信制)
 

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