宇田川淳氏の新潟県競馬廃止コラム

 

以下に掲げる文章は、宇田川淳氏がkeibatimesというサイトで連載されているコラムから、新潟県競馬廃止関係のコラムを抜き出して掲載するものであります。keibatimes管理者には転載許可を得てあります。

彼のコラムをご覧になるとわかりますが、県内のマスコミが廃止の際に触れなかったJRAとの関係を細かく検証しています。貴重なコラムであるので、改めて、ご覧いただきたい。

・1回目(競馬場廃止考6)、2002年10月掲載

 競馬場廃止考の第3弾は、降雪のため平成14年1月4日の第2レースをもって打ち切られ、結局そのまま廃止となった新潟県競馬を取り上げる。

 廃止に至った経緯を簡単に振り返ると、平成13年7月16日、新潟県競馬組合管理者である平山征夫新潟県知事が設置した新潟県競馬検討委員会(原良馬氏も委員として参加)から、新潟県競馬の今後のあり方及び振興策に関する提言が提出された。結論として、「期間を限って県競馬再建に最大限努力し、再建が困難となれば廃止を決断する」、「既に再建できない状態であり、速やかに廃止を決断すべきである」という廃止を前提としたものと、「県競馬の存続を前提に最大限努力する」という意見の両論が併記されている。だが、期待された新装オープン後の新潟競馬の売上げが伸び悩み、有効な振興策も見い出せないことから、10月には平成13年度限りでの廃止の方針が固まり、11月5日の県知事記者会見で正式に発表された。廃止の理由は、平成12年度までの累積赤字額が競馬組合所有の土地、建物等の資産総額を超え、債務超過に陥っており、これ以上赤字を増やすのは無理があるというものだった。

 次に競馬関係者との補償交渉の状況だが、新潟では補償を生活再建を図るまでの一定期間について行政として支援を行う救済措置と捉え、現行制度上最もこの考え方に近い公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱の離職者補償、簡単に言えば公共事業用地として買収される土地から立ち退かなければならず、それに伴って職を失う者に対する補償の基準を準用して、救済措置一時金(新潟ではこの名目で支給)を算出するという基本方針を平成14年1月18日に関係団体に提示した。これに対し、まず3月20日に騎手会が合意、その後厩務員労組、獣医師会、装蹄師会も3月中に相次いで合意に至った。しかし、馬主会と調教師会についてはそれぞれ十回前後の交渉が持たれているが、提示額と要求額のギャップが大きく、交渉は進展していない。算定基準を公表しているうえ、既に合意した団体との絡みもあり、提示額に上積み出来ないことが長期化の要因となった。また、食堂、予想業者、馬匹運送業者など、厩舎関係者以外の8者に対しては、補償要求に応ずる意志のないことを通知している。

 厩舎関係者の再就職状況を見ると、騎手は廃止時に在籍していた22名中、16名が他場に移籍している。内訳は上山、笠松各3名、高崎、船橋、金沢各2名、北海道、足利、浦和、川崎各1名(その後引退、他場に再移籍した者を含む)で、他に大井2名、船橋1名の計3名が厩務員となり、3名が牧場に転職した。調教師は27名中、上山、高崎、金沢各3名の計9名が移籍、5名は牧場等に転職、9名は再就職斡旋を希望せず、未定は4名となっている。厩務員は131名中、49名が他場に移籍、42名が牧場、民間企業等に転職、22名が再就職斡旋を希望しておらず、18名が未定となっている(10月16日現在)。

 競走馬は最終開催時に在籍していた476頭中、他場(中央競馬を含む)に移籍したのは316頭で、移籍率は66.4%と3分の2に近い。新潟の場合、これはほぼ予想通りの数字だが、ここからも中津の移籍率55.5%の凄さが分かる。

 土地、施設関係の動向に移ると、昨年12月20日、新潟県知事が東京のJRAに足を運び、理事長に競馬組合所有の土地の一括購入を要請したが、色よい返事は貰えなかった。厩舎地区は7月30日には全ての厩舎関係者が退去、9月下旬から解体工事に取りかかっているが、売却の見通しは立っていない。また、新潟(旧競馬組合事務所)、三条、中郷の3場外は、大井競馬場の施設所有者である東京都競馬鰍ノ10億円で売却され(オープス磐梯は競馬組合所有ではなく借り上げ)、南関東を中心とした場外として4月から稼動している。


・2回目(競馬場廃止考15)、2003年7月掲載

昨年10月30日付けのコラム以来中断していた新潟県競馬について、2回に分けてJRAとの関係を中心とした特殊事情を検証するが、その前に昨年11月以降の新たな動きを簡単に紹介しておく。

 今年3月25日には、救済措置一時金交渉が難航していた2団体のうち、馬主会と合意に達した。調教師会については、交渉は進展していない模様だ。また、救済措置一時金交渉や厩舎関係者の再就職斡旋等のため、農林水産部に設置された『県競馬対策室』も、今年3月末には廃止されている。

 競馬組合所有地だった新潟の厩舎地区は、昨年3月末の組合解散後は構成団体の新潟県、新潟、三条、豊栄市の共有となり、解体、整地して売りに出されているが、売却のメドは立っていないようだ。三条競馬場は、スタンドとその周辺以外は国有地(河川敷)であり、装鞍所、検量棟などは解体、撤去された。

 新潟県競馬組合の累積赤字は約66億8600万円。これに救済措置一時金、競馬組合職員退職金、起債繰上償還金、残存リース清算金等の廃止に伴う経費を加えた解散時の負債総額は81億5118万8000円にも及び、構成団体が組合規約に規定されている構成比(新潟県18分の10、新潟市18分の4、三条市及び豊栄市18分の2)に基いて、それぞれの自治体の一般会計から負担金を拠出して清算されるが、財政規模の小さい三条、豊栄市は新潟県から無利子貸し付けを受け、18年の分割払いで返済することになった。

 さて、これまで取り上げてきたケースに紀三井寺も加えた累積赤字を理由とする競馬廃止例の中で、新潟にはJRA所有競馬場の借用という特殊事情があった。新潟県競馬組合は、施設使用料の減免(敷地は無償、施設は9割減免)、県競馬開催日の中央競馬の場外発売制限(単複のみ全レース発売、連勝は特別3レース+関西重賞のみ)など、JRAから優遇されてきたが、中でも異例なのは平成9年に開始されたゴールデンウイークの条件交流集中開催で、中央競馬の新潟開催を1週ずらし、3日間で計21レースもの条件交流競走が組まれた。しかも、そのうち15レースは、通常の条件交流(フルゲートの半分が中央枠)とは違い、12頭中10頭までが中央枠という特別扱いだった。

 平成10年には、21レース中18レースにまで増えたゴールデンウイークの中央枠10頭の条件交流への賞金拠出を、通常の半額から8割に増額した。しかし、これにはさすがに他主催者が黙っておらず、道営と愛知が同様な手段を取ったため、JRAはキリがないと考えたか、翌11年のゴールデンウイークの新潟を最後にこの特例を認めなくなった。また、新潟の優遇はゴールデンウイークにとどまらず、10年11月と11年5月末には1日8レース(他主催者は1日2レースが上限)の条件交流が実施されている。

 平成11年の夏開催終了後、JRAは新潟競馬場の直線1000bコース新設、左回り化を中心とした大規模な改修工事に入った。11年度は夏以降、交流競走を実施できない三条開催のみとなり、前年度から10億円以上も売上げを落とした競馬組合は、当初新潟が全く使用できず、全日程三条開催となる筈だった平成12年度の新潟競馬場借用をJRAに強く申し入れた。その結果、JRAはダートコースの拡張を諦めて左回り、スパイラルカーブ化のみを実施、左回りとなったコースのスパイラルカーブ部分を仮柵で修正し、右回りで使用することを認め、競馬組合は全日程新潟開催を実現させた。条件交流は1日最大6レースに減ったものの、レース数では前2年と同じ29レースを確保した。

 だが、平成12年度の売上げは、前年度を更に11億円も下回ってしまった。既に強度のJRA依存体質に陥っていた新潟県競馬組合は、売上げの減少に伴う予算削減を余儀なくされているJRAに対し、更なる支援の拡大を求めるなど、廃止への道を一直線に突き進んでゆくのであった。


・3回目(競馬場廃止考16)、2003年7月掲載

 平成13年度限りで廃止された新潟県競馬について、前回に引き続き検証する。平成12年には、「これなくしては存続できない、最後の最後のよりどころ」(新潟県知事)と位置付けられていたJRA頼みではない振興策の切り札、越路町の場外馬券売場設置計画が頓挫している。

 越路場外予定地は所在地こそ三島郡越路町だったが、越路町の大半を占める信濃川西岸ではなく、長岡市に隣接した信濃川東岸部分に位置しており、県下第2の都市である長岡市民をターゲットにした計画である。競馬組合は当初越路町の同意を得たことで“地元の同意”を得たと判断し、計画を推し進めようとしたが、実際の周辺住民である長岡市民の猛反対に遭ってしまった。そこで今度は周辺の長岡市民の説得を試みたが、12年6月に市議会の反対決議、市長の反対表明が立て続けに出され、断念に追い込まれた。この件を境に、新潟県議会での議論は越路町場外問題から県競馬存廃問題へと移行していった。

 新潟県競馬がJRAから受けた様々な優遇策は前回紹介した通りだが、その大筋は競馬組合側からの要請によるものである。そしてそれは存廃の岐路に立たされた土壇場まで続けられた。平成13年7月に『新潟県競馬検討委員会』が県知事に提出した提言の内容を要約すると、『県競馬の現状』では「開催日程は中央競馬に強く左右されるが、近年は新潟競馬場改修工事のため、その影響が顕著となっている」、「中央、地方の共存が強く求められるが、県内ファンの支持は圧倒的に中央競馬に集まっており、共存共栄の関係には程遠い」、「経営悪化は魅力不足が主な原因だが、中央競馬により大きな影響を受けている」。『県競馬の振興策』では「JRAからは既に多大な支援を受けてはいるが、その拡充とともに、芝コースの使用も含め、支援の更なる拡大を要請する」、「中央の場外に来場するファンを誘導することが今まで以上に必要であり、その方策についてもJRAに協力要請すべき」といった内容だ。

 そういえば、あるJRA幹部が立ち話の中で「止めたいという地方競馬があって困る」とぼやいていたが、時期は廃止決定の4〜5年前だったと記憶している。その幹部の出身地から、どこの地方競馬かは聞くまでもなかった。この話からも、競馬組合のJRAへの支援要請は「お宅のせいでウチが廃止ということになったら困るでしょう」といった類いのものであったと推察できる。

 それでは、新潟県競馬とJRAの共存共栄のための方策が何かあったかというと、答えは「ノー」である。JRAの支援などなくても両立できた時代もあったが、現在の新潟県には、中央競馬と地方競馬が共存共栄できるほどの競馬に対する需要は、既になくなってしまったと考えるのが自然であろう。

 かつて競馬組合職員が「質の劣る物を売る場合、通常の商売なら値引きするのが普通だが、競馬の場合、配当は中央競馬と同じで券面は半額、という訳にはいかないのが辛い」という意味の話をしていたのが印象的だ。新潟に限ったことではなく、今の地方競馬に控除率を引き下げる余裕など微塵もないのだ。

 紀三井寺以降の競馬廃止例の中で、新潟県競馬は唯一、都府県の上限である2ヶ所の競馬場を主催していた。1周1000bでコースは河川敷、内馬場には畑(廃止の数年前に立ち退き)や池があり、馬との距離も近く、最も地方競馬らしい競馬場の一つだった三条と、中央競馬と同じ施設で稼動しているモニターテレビは半分、しかもスタンドから遠い内側のダートコースのみという新潟。

 フルゲートの多寡や交流競走の有無といった他の要因もあるが、両者の売上げや集客力の差を見ると、新潟のファンは皮肉なことに“地方競馬らしさ”よりも施設、つまり居心地の良い方を選んだ、ということになるのである。