1998年、東北サラブレッド大賞典表彰式

向山 牧騎手

1965年7月5日生

勝負服:胴紫・黄玉あられ、袖赤

・初騎乗:1983年4月3日

・初勝利:1983年4月11日

・1000勝達成:1993年11月27日

・2000勝達成:2003年2月20日

通算勝ち星、地方競馬、2001。中央競馬、9。他に韓国での勝ち鞍も有り。

 

2003年2月20日。笠松競馬の第2レースにおいて、向山牧騎手が地方競馬通算2000勝を達成いたしました。新潟県競馬関係では渡辺正治騎手に次ぐ偉業達成となります。2000勝達成は、競馬界においては、大変な名誉あることなのであります。

彼がデビューした1983年。この頃は渡辺騎手の全盛時代であります。厩舎は、県競馬の名伯楽で、再起不能の故障持ちの馬でも見事に再生させる腕を持つ向山勝厩舎(おじさんにあたる)に所属。1年目から36勝を記録、その後は着実に勝ち鞍を増やし、1991年にリーディングの座を確保すると最後のシーズンになってしまった2001年までの間、その座をほぼ独占。正に新潟の第一人者の地位を渡辺騎手から奪った時期でもありました。その時期の活躍馬は、年代順にアサクサキャリア、オーディン、カルストンラナーク、ロバリーハート、チェイスチェイス、エビスヤマト、アクションアラートと県競馬の歴史を飾った強豪の名が次々と出てきます。また、新潟グランプリ4連覇の偉業も達成しています。

向山騎手がリーディングの座に就いた時期前後から、中央競馬あるいは他の地方競馬との交流レースが増えて来た時代にあたります。1992年、JRA新潟競馬場を舞台に地方競馬交流競走「BSN賞」が初めて行われた時に県競馬の馬がダートと芝の間にデーンとそびえる「ベルリンの壁」を越えて初参加したと同時にJRAに初登場。1994年の平安Sでのオーディンでの2着以後、いわゆるJRA認定馬を出走させる特別指定交流レースの導入で、JRAへの参戦も増加。その間に県競馬所属馬のアクションアラートとフエイバータッチでの2回の勝ち鞍も含めて、現在、9勝をあげています。

やはり、向山騎手と言えば、オーディンとロバリーハートでの活躍が全国的に知られるところであります。オーディンは、1993年に彗星のごとく登場。同年にまだ重賞未勝利の身ながら、岩手の南部杯に果敢に挑戦。当時の岩手は、トウケイニセイ、モリユウプリンスの2強時代でしたが、驚異の逃げ脚を披露。ゴール前まで、勝利をほぼ手中に収めたかと思いきやトウケイニセイにクビ差で差されての2着と健闘。2強の一角を崩し、非常に価値ある2着と評価された。その後、新潟記念の重賞勝ちをはさんで臨んだレースが1994年の第1回平安S。JRAが地方競馬の馬に初めてダートの重賞に参加を認めた文字どおり第1回のレースに堂々の参戦。当時の南部杯は北日本地方競馬の交流でしかなかったせいもあり、全く人気がなかったが、あの南部杯と同じ逃げ脚を披露。単勝馬券を握りしめ、テレビの前で、叫んでいた私であったが、トーヨーリファールにこれまた寸でのところでかわされてクビ差の2着。非常に悔しい思いをしました。しかし、ダート能力覚醒前とは言え、ホクトベガや当時の地方競馬の最強格の1頭であったトミシノポルンガに先着した実績で向山騎手の名は全国にとどろいたのであります。

ロバリーハートは、1997年に連戦連勝を重ね、新潟グランプリ、翌正月の迎春賞と重賞連覇。特に迎春賞でのダート1800mの走破タイム1分50秒8は、JRAのダートオープン馬のそれと同等のものであり、これは、間違いなく大仕事をしてくれると確信。そして、あの群馬記念を迎えるのであります。勝てなくとも無様なレースはしないと実感し、高崎まで生で見に行きました。ゲートが開いてからは、やや後ろ寄りの位置でしたが、バックストレッチ中ほどから進出し、ホームストレッチで外から鋭く伸び、ゴール前でグリーンサンダーをかわした瞬間がゴール。新潟県競馬最初で最後のダートグレードレースを制覇した瞬間でありました。その時の喜びは私の競馬生活の中で最もうれしい瞬間でもあります。

時は21世紀が明けた2001年。ちょうどロバリーハートが活躍していた頃から、売上げ不振で累積赤字が増え続けていたが、中津競馬の廃止が呼び水となってしまい、管理者の平山知事が最悪の決断を敢行。その間の向山騎手は騎手会長の要職にあり、競馬以外での気苦労が耐えなかったと思います。翌2002年の1月4日。雪が降りしきる中で何とか有終の美を飾りたいと言う思いで開催を強行するも2レース行った時点でさらに雪が積もり開催中止。ドタバタの中で行われたさよならセレモニーは、私も現地にいて、色んな思いが交錯していた心持ちでしたが、向山騎手は、騎手の代表として、時折、言葉をつまらせながらもあいさつをしていたことが昨日のことのように思い出されます。

そして、榎、長谷川の両騎手共々、慌しくも笠松への移籍が決定。同月の20日には早速、騎乗を開始。しかし、現地にはよそ者と言う意識もあるんでしょう。新潟の時のように勝ち星が増えません。でも、ここからが踏ん張り時。1年たって笠松の地にも慣れたことでしょうから、早く重賞を勝てば、自然と勝ち星が新潟の時のように増えていくはずです。

思えば、渡辺騎手が2000勝を達成したのが、1991年。この当時は景気も良く、武豊騎手を中心とした競馬人気が右肩上がりの時代。当時の記憶を紐解くと地元メディアも派手に取り上げてくれて、特に武豊騎手がJRA開催も含めて初めて新潟に登場した際は、「2000勝騎手対天才」と言うフレーズが躍り、テレビ中継もありました。奇しくも干支が一回りした2003年に向山騎手は、この記録を達成した訳ですが、地元マスコミは全く取り上げてくれません。何とも寂しいことです。せめて、平山知事がもう1年廃止を遅らせてくれたならば、新潟で2000勝を達成していただろうし、渡辺騎手も3000勝をしていたに違いありません。

今後、県競馬関係で2000勝に続く現役騎手となると五十嵐紹剛騎手の1823。大枝幹也騎手の1623。榎伸彦騎手の1265。山田信大騎手の803。酒井忍騎手の773となるわけですが、年間で100近く勝たないと中々、達成できない記録。五十嵐、大枝の両騎手は高年齢でそんなに多くを望めない状況なので、なんとか榎騎手以下の若い騎手に2000勝達成を期待したい。

向山騎手は、東海地区の競馬紙に「3000勝したい。」とコメントを寄せています。3000に達する頃には50に手が届く年齢になりそうですが、どんな騎手になっているか期待半分、不安半分と言ったところ。ちなみに私の年齢も50に近づいてしまいます。(苦笑)

 

勝負服アイコン提供。「勝負服の館」さま。

各騎手の勝ち数は、2003年2月21日現在。